第1話 狙うならハイエースについての著者解説

本記事は、noteで公開予定の「狙うならハイエース」について、前提・背景・補足を含む解説です。

前提
カスタムした車(ハイエース)をモチーフにしたことについては、メーカーや車種に対して悪いイメージや感情を持っている訳ではありません。むしろ、シンプルな感情として「カッコいい」と思っています。ずいぶん前ですが初めてカスタムしたものを見た時は「こういうアプローチがあったか」と感心すらしました。記号化出来るくらいに象徴的な存在になっているのは、メーカーに対して「流石」と感心してしまうくらいです。

背景 地方に住むことでイニシャルコストと維持費用(サブスク)を強要される不条理

地方社会では人は意図せずに移動のインフラの費用を、車両購入・税金・維持・メンテナンス・車検・事故の際のある種無限の責任まで、全て都会で車無しで生活している人には不要なコストを負担させられている。

赤字でスカスカの地方の電車のニュースを見たら「うわつぶれるなこれ」って皆思う。でも「人をたった一人運ぶだけのために車一台使っている」

これらを何故地方で生活し続ける中で、自然に受け入れてしまっているのだろう。具体的には、住む場所によって人が生活(仕事・プライベート関わらず)する上で必須の要素である「移動」に関して多大な負担するものが強要されている事を当然と許容してしまっているのか、その効率の悪さについても同様、これがやはりおかしいと思うと考え始めた事が、配信小説の第1作目として書いてみようかと考えたきっかけです。

勿論、都会と地方では生活に関するメリットとデメリットが全く違います。ですが、「移動」に関しては、例えば通勤手当は勤めていれば支給されますが、都会で電車の費用を支給されている場合、その人が移動で実費を支払うのはほぼほぼその必要がある時、したい時です。地方の場合は違います。仕事であろうが、プライベートであろうが、車を自分で運転する、家族・友人に運転してもらうなどが殆どで、車両購入・税金・維持・メンテナンス・車検・保険、更に事故の際のある種無限の責任まで抱え込むという事実はあまりにも非対称です。

サブスク疲れなんて言葉がありますが、購入費用を支払って、生きて生活し続ける以上、毎年どれだけの費用を負担させられるのだろうと考えるのは私は突飛な発想とは思いません。事故時の過失割合次第で青天井になりうる賠償責任も無視出来ません。都市と地方の生活コスト比較の議論で「地方は家賃が安いから可処分所得が多い」という主張もあるでしょう。ですが、移動に関しては車以外の代替手段では対応出来ない地域も多く、工夫や努力で費用を圧縮出来る選択肢が圧倒的に地方の方が少ない。

これについて、皆さんに私の考えについて同調してほしいとは思いません。ただ、一度でもいいから真剣に考えたり、身近な人と話し合ってみるきっかけにして欲しいと思います。

一つ付け加えると、今年2月のトランプ大統領の判断によるイラン攻撃後、地方に住む多くのかたが不安に感じたのはガソリン代の高騰ではなかったでしょうか。原油価格の高騰が起こるたびに他店よりも安いガソリンスタンドに行列が出来る風景を見たり、その行列に加わった事のある方も多いでしょう。国外で起こる不測の出来事により影響を受けるのが都会ではなく、地方であるというケースは案外多いのです。

私個人としては、電車で片道20〜30分移動する機会が週に一度程度あるのですが、移動を他者に任せて調べ物をしたり、こうした記事を書いたり、AIと会話しながら勉強したりできる往復1時間は、なんてありがたい時間なのだろうと感じます。

2作目以降についてと補足

1作目として地方に住む若い男性に焦点を当てたものを公開しましたが、本シリーズは実際に見られた現象や話題になった出来事などを題材にしており、地方の問題に絞ったシリーズではありません。しかしながら、2作目以降もニュースやネットで見て知っている方が多いと感じるものという共通点があります。2作目は都会に住む女性が題材となっています。「話題になってたやつだ」と思う方が多い出来事を元にしています。

そして勿論のことですが、これはリアルな事象をテーマにしていますがフィクションです。特定の個人や集団を批判するような意図はありません。多くの方に今という大切な時間を少しでも有意義に、そして「楽しい。幸せ」と感じ日々を過ごしていただきたいと思っています。

配信小説 狙うならハイエース [note]