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この記事を書いているのは2026年10月、「20年前の今ってどんなだったのだろう」とふと思い立って、本ウェブサイトで後日公開予定の資料を元に2006年〜2010年の5年間の政治経済を振り返ってみたいと思います。
2006年の日本ってどんな年?
20年前の2006年、戦後の日本でも非常に長い任期と人気を誇った総理大臣小泉純一郎が安倍晋三へと変わるタイミングでした。
2006年に日本で起こった大きな出来事としては、1月「ライブドアショック、堀江氏逮捕」、4月「ライブドア上場廃止」、6月「村上ファンド代表逮捕」、7月「ゼロ金利解除」、8月「小泉総理、在任中最後の靖国神社参拝」9月「小泉内閣総辞職(在任1980日、歴代当時3位)」「第1次安倍内閣発足」などなど。
他にも挙げるとキリがありませんが、これを見て「懐かしい」と感じる方は40歳前後以降の方がその多くでしょう。30代より若い方々は、ちょっと驚かれるかもしれません。細かい評価や考察は別の記事に譲るとして、「日本の総理はコロコロ変わる」と、長い年月、職場や居酒屋など場所を問わず聞こえてきたこのお決まりの定型表現はこの長期政権で終わった。小泉内閣全盛の頃、当時20代の私はそう思っていました。
しかし、私のその考えは2006年からのたった5年間で間違いだったと思い知らされる事となります。
6人の総理が居た異例の5年間
小泉純一郎 2001年4月26日〜2006年9月26日
安倍内閣 2006年9月26日〜2007年9月26日
福田康夫 2007年9月26日〜2008年9月24日
麻生太郎 2008年9月24日〜2009年9月16日
鳩山由紀夫 2009年9月16日〜2010年6月8日
菅直人 2010年6月8日〜2011年9月2日
なんと2006年〜2010年の5年間は、日本の過去40年ほど遡っても珍しい5年の間に6人の総理大臣が存在していた異例の期間です。ちなみに、5年で5人の総理が存在したという状態もそれ以前に発生(1993年からの5年間、宮沢喜一〜橋本龍太郎)していますが、5年で6人の総理というのは異例で、流石にもうこれ以上の記録は生まれないだろうと思います。
2006年は2008年の世界的な金融ショック「サブプライムショック(リーマンショック)」の原因であるアメリカのサブプライムローンの延滞率上昇などが既に現象として確認されていました。
2007年は、2月にHSBC(香港上海銀行)が巨額損失計上、8月にはパリバ・ショック(フランス大手銀行BNPパリバが、サブプライムローン関連の証券化商品の損失拡大を受け、傘下の投資ファンドの解約・払戻しを停止。)など、まさに世界的な金融ショック前夜という年で、2008年についにという流れなのですが、それを振り返って考えてみると、2006年〜2008年の3年間だけで見ても4人の総理、この重要な期間に日本人にとってはなんと運の悪い巡り合わせなのだろうと感じます。
私は特定の政党を支持しないですし、この時点の総理の誰が悪いみたいな話へ流れていくのはこの記事では控えますが、政治が安定しない期間に金融危機を迎え、政府・日銀が連携して、異例の事態に異例の対応が求めらえる期間に適切な対応を行うのは至難の業というか、不可能だったのだろうなと考えています。これについては別の記事で後日記事を公開したいと考えています。
補足になりますが、
安倍内閣 2006年9月26日〜2007年9月26日
福田康夫 2007年9月26日〜2008年9月24日
麻生太郎 2008年9月24日〜2009年9月16日
この3人の総理の短命政権は少なくとも麻生氏については少し事情が違います。衆院議員の任期満了は2009年9月10日でしたが、解散は7月21日。解散から投開票までの40日間は、憲法54条が定める上限いっぱいで、史上初の運用で、「衆議院の任期が余すところ1年である時期に内閣総理大臣に就任した」のが麻生氏で、氏については投げ出したのではなく、リーマンショックへの対応として過去最大の経済対策などを行い、本当に限界ギリギリまで粘って衆院解散したので、安倍・福田・麻生と並べて短命政権の総理と短く表現すると誤った理解へと進んでしまうので要注意です。
日銀総裁が存在しなかった異例の空白期間
2008年3月12日、日銀総裁の後継として政府が提示した武藤敏郎氏を、民主党など野党が「財政と金融の分離」を理由に拒否。政府は改めて田波耕治氏を提示しますが、こちらも3月19日、福井総裁の任期満了と同日に参院で否決され、中央銀行のトップが不在という戦後初の異常事態が発生しました。リーマン・ショックの予兆がある中での出来事です。2008年4月9日に白川方明氏が日銀総裁に就任するのですが、短い期間と言えども、この異例の事態に不穏な予感を当時感じていた人も多く居たことだろうと思います。
2008年は当時円高が続いた結果、ついに100円を切った節目を迎えた年でもありました。
当時の、ついに政権交代だという空気は今ではあれはなんだったのだろうと思う人も多いかもしれません。私は当時東京に住んでいたのですが、政権交代すれば良くなるみたいな空気が凄くて、色々な場所で「もう民主党で政権交代、これしかない」という話を多くの人がしていました。私自身は民主党のマニフェストの内容について疑問があり、実現性も疑っていたので否定的でした。
しかし、自身としても自分の国で起こっている事と世界で起こっている事を冷静に比べる視点が足りなかったなと、当時の事を思い出すと反省することもあります。
上述の通り、政権交代しても結果として総理がコロコロ変わる事態が続くのですが、そうしてなんとか2010年を皆で乗り切ったねと思っていた矢先に起こったのが・・・。これについての続きはしっかりと別記事で。
今回はこのあたりにしておいて、基本的にこのウェブサイトとnoteでは、日米欧の政治経済の構造と個別のケースについての考察記事を公開する予定なのですが、たった5年間の総理・日銀総裁に焦点をあてるだけで少しだけ違う構造が見えるかもと考えるきっかけになれば幸いです。多くの人が飽きたり・疲れ切ったりしないちょうど読み切れるくらいのボリュームを見定めながら、記事を公開していく予定です。なにせどう頑張っても一つの記事で全てに触れる事なんて出来ないですしね。